「中国残留孤児訴訟」ついに始まる!! 弁護士 北村 栄
一 待ちに待った提訴
9月24日、早朝小雨が降る中、年老いた残留孤児の人々は日本人としての扱いをして欲しいとの一念で名古屋地方裁判所についに提訴し、12月18日、第一回裁判が始まった。原告の数141名。また全国各地でも提訴が相次いだ。その数は既に帰国孤児の総数約2500名の半数を超え、一年以内に八割近くなる勢いである。それだけの孤児が悲痛な声を上げている。何かあるはずだ。
二 置き去りにされた孤児達
終戦直前のソ連参戦、それさえ知らされていない開拓団。殺戮・強姦・収奪が始まり開拓団を守るべき関東軍は真っ先に逃げ去った。軍人は列車に追いすがる開拓団の老人、婦女子に銃口を向け発砲し、橋や建物を爆破した。零下20度の酷寒の地で食べ物も着るものもなく夜間の逃避行が始まった。声を出して敵に見つかってはいけないと赤ん坊や幼児は親が殺すように言われた。子を持つ親として想像することすら身震いすることだ。橋も爆破され、川を渡る時力尽きて流される子ども、それを追って姿が消える母親、足手まといになってはいけないと自ら身を投げる老人達。やっとのことで生きながらえ安全地に着いたと思ったら誰もいず、敵が迫り集団自決を迫られる。夫が妻を、親が子を刺す、子に青酸カリを飲ませろといわれるがどうしても出来ない親には兵隊が親子を殺しにかかる生き地獄だった。孤児達はそんな中奇跡的に生き残った人たちなのだ。国策として満州に大移民をさせた国は、孤児達を真っ先に見殺しにしたのだ。
三 望郷の思い、それに応えない国
孤児らは中国では殆どが学校に行けず朝から夜遅くまで仕事を手伝わされた。周囲からは小鬼日本人と言われ続け、夜一人になって故郷を思い毎晩涙を流した。文化大革命でも屈辱を受け続け、早期帰国を望んだが、国がいち早く戦時死亡宣告を出し、孤児達を死んだものと扱い、訪日調査を始めたのは何と戦後36年も経ってからであった。さらに国は帰国するに身元保証人が必要とし、保証人がない孤児の帰国を拒んだ。どうして日本人なのに保証人がないと自分の国に帰れないのか、嘆いても国の門戸は堅く、更に帰国は遅れた。
四 帰国後も続く苦労、孤児の願い
帰国者センターでの日本語学習がわずか四ヶ月では習得出来ず、最下層の労働に就くしかなく、職場では「中国人」といじめられ嫌な仕事を押しつけられた。やっとの思いで定年まで勤め上げたら何と年金は月額二万円という低さ。国が中国での労働期間を全く考慮しないためだ。これでは生活出来ない。
孤児達の願いは、老齢を迎え日本に帰ってきてよかった、日本人でよかったと思いたい、最後の老後を安心して暮らしたいだけなのだ。孤児達には全くお金がありません。署名と共に出来ましたらカンパ戴ければうれしいです。
UFJ銀行 大津町支店
普通預金口座 口座番号 5009605
中国残留孤児訴訟 預り金口 北村 栄
(きたむらさかえ) 名義