医療事件チームでは、定期的に判例の勉強会をしています。
今回は、東京地判令和4年12月22日判決をご紹介します。
1 概要
人工心肺を使用しない冠動脈バイパス手術を受けた患者が低酸素脳症となったことにつき、同手術の危険性等について説明しなかった説明義務違反、及び、手術手技に過失があったとして損害賠償を求めたが、棄却された事例
- 原告:患者(S5生まれ、手術当時(H22)79歳の男性)の相続人
- 被告:大学病院
- 結果:請求棄却
- 分類:心臓血管外科
2 医学的知見
- オフポンプ手術
体外循環装置を使用せずに心拍動下で行う冠動脈バイパス手術。
体外循環を使用することが好ましくない症例(脳血管病変合併例や脳血管障害既往例、低肺機能症例等)、80歳を超える高齢者、再手術症例について適応あり。
血圧低下、徐脈、致死的な不整脈(心室細動等)の可能性あり。
- オンポンプ手術
体外循環装置を使用し、人工心肺下で行う冠動脈バイパス手術。
心内手術が必要な症例(左室瘤,弁膜症等)、グラフトの吻合に困難が予想される症例(心筋内走行の冠動脈にバイパスが必要な症例、内腔の小さな冠動脈や広範な石灰化のある症例)、血行動態の不安定な緊急手術症例、心拡大の著明な低左心機能症例について適応あり。
オンポンプ手術とオフポンプ手術のどちらを選択するかについて絶対的な適応基準はないものの、上記適応症例については、できる限りオンポンプ手術を施行するのが望ましい。
- オフポンプ手術における冠灌流法
オフポンプ手術では吻合時の無血視野を得るために、冠動脈の閉塞が必要となるが、切開を行う冠動脈の吻合部よりも遠位(末梢)における冠動脈の血流を確保し、心筋虚血を予防するために、必要に応じて冠灌流法が行われる。
吻合中の冠灌流法は、内シャント法(切開口から冠動脈の中枢側、末梢側へチューブを挿入・留置し、吻合口をシャントして冠動脈中枢から末梢側へ血流を維持するもの)と、外シャント法(中枢側は遮断し大腿動脈など冠動脈以外の血流をインフローとして末梢側を灌流するもの)がある。
内シャント法は、冠動脈のどの部位においても可能であり非常に有用であるが、欠点として、冠動脈病変の末梢で冠血流が低下している可能性のある部位がインフローとなるため、心筋虚血を引き起こさないだけの十分な血流が得られているかどうかは不確実である。
外シャント法は、狭窄病変のない良好な部位からの血流で冠動脈を灌流させるため、良好な血流を冠動脈末梢へ流すことが可能である。
3 経過
H22
4.14 患者、狭心症の疑いで心臓カテーテル検査を受けるため入院。
4.16 心臓カテーテル検査を実施。冠動脈の3枝に90%の狭窄があり、重症3枝病変と診断。
4.17 内科の医師が、患者に対し、重症3枝病変が認められることを説明し、冠動脈バイパス手術を受ける意向があるか確認したところ、患者は手術を受ける意向を示す。
4.22 術前検査として、頭部・胸部CT検査を実施。
4.23 術前カンファレンスを実施。人工心肺を使用しない冠動脈バイパス手術(以下「オフポンプ手術」という。)を選択すべき症例に該当すると判断。26日に術前説明、28日に手術実施との予定を決定。26日までの間に、患者へ被告病院心臓血管外科作成の冠動脈バイパス術に関する小冊子(以下「本件冊子」という。)を交付。
4.26 執刀医が、P2同席の下、患者に対し術前説明を実施。患者が本件冊子を通読したことを確認した上で、患者の状態、オフポンプ手術を選択した理由、同手術のメリット、リスク等を説明。患者は手術同意書に署名し、P2は同意書に署名。
4.28 オフポンプ手術を実施。
右冠動脈にバイパスを吻合しようとしたが、冠動脈の石灰化によりブルドッグ鉗子を用いても十分な血流遮断が得られず出血し、患者は一時的に低血圧状態になる。
術後、低酸素脳症などの所見がないかを確認するため、頭部CT検査を実施。
4.30 28日のCT画像からは低酸素脳症や新たな梗塞を示唆する所見は認められないと診断。
5.7 患者、覚醒が遅延し意識障害が遷延していたところ、呼びかけに対して開眼するなどの反応あり。
5.16 患者、従命動作確認。
6.1 患者、「あー疲れた。」、「お茶が飲みたい。」などの発言あり。
6.4 グラスゴー・コーマ・スケール(GCS)で、E4(開眼:自発的に開眼)、V5(一言語音声反応:見当識あり)、M6(運動反応:指示に従う)と評価。
H23
10.15 患者、退院。
H25
3.23 患者、死亡。
4 争点
- 説明義務違反の有無
- 右冠動脈に内シャントを実施しなかった過失の有無
- 因果関係
- 損害の発生とその数額
5 裁判所の判断
争点1について
(原告の主張)
本件において、オンポンプ手術とオフポンプ手術にそれぞれリスクがあるところ、執刀医は、患者に対し、オフポンプ手術に付随する危険性として、患者は冠動脈3枝が高い狭窄率で動脈硬化が重篤であることから、広範な石灰化があることが予見され、拍動下で吻合を実施することは容易ではなく、循環が安定しない危険性があることや、執刀医自身も、オフポンプ手術中に7分ぐらいの間、40ないし50mmHgを切る血圧低下を時々経験していることを説明しなかった。
(被告の主張)
本件において、オンポンプ手術とオフポンプ手術の両術式による影響について変わりがないがごとき説明をすることは、医学的に正しい情報提供ではなく、そのような説明をすべき法的義務はない。
また、平成22年4月22日の胸部CT画像で冠動脈が広範囲に石灰化した所見はなく、人口心肺の使用を冠動脈の石灰化の有無で決めることはない。そのため、オフポンプ手術では、広範な石灰化がある冠動脈3枝に対して拍動下で吻合を実施することは容易ではないとの説明をすべき義務はない。
さらに、患者に対し、入院中及び外来受診時に患者の症状(狭心症で、重症であること等)の説明を行っているし、平成22年4月14日の入院時等に冠動脈バイパス手術の実施を予定している旨の説明もした。手術前に本件冊子を交付した上、執刀医よりリスク等に関する補充的な説明を行った。
(裁判所の判断)
本件冊子の交付、及び、執刀医による患者への術前説明の内容から、執刀医は、本件手術に先立ち、患者に対して、本件手術の内容、本件手術に付随する危険性、オフポンプ手術の内容と利害得失、予後についての説明を十分行ったというべき。
また、本件手術前に患者の冠動脈が広範囲に石灰化されていることは想定できないため、同内容の説明義務はない。
以上より、説明義務違反なし。
争点2について
(原告の主張)
本件手術を実施するに当たっては、もともと冠動脈に広範囲の石灰化があるため、グラフト吻合に困難が予想されていた上、執刀医が右冠動脈のバイパスを吻合しようとしたところ、冠動脈が石灰化、硬直していてブルドッグ鉗子で血流の遮断ができず、出血が続き、末梢への血流の確保ができなくなったのであるから、執刀医は、遅くとも、バイパスの吻合中に出血が続き、末梢への血流の確保ができないことが明らかになった時点までに、右冠動脈のグラフト吻合部に内シャントを実施すべき注意義務を負っていたが、内シャントを実施しなかった。
(被告の主張)
冠灌流法の1つである内シャントは、心筋虚血を可及的に予防するためのものであって、出欠の制御や出血に伴う血圧低下を防ぐためのものではない。
また、冠灌流法には外シャントもあるが、内シャント、外シャントのいずれを選択するかは、術者や施設の裁量に委ねられているところ、本件当時、被告病院では、オフポンプ手術では基本的に外シャントチューブを使用しており、本件手術も外シャントを使用していた。
よって、内シャントを用いる注意義務違反はない。
仮に、内シャントを用いるべき注意義務があるとしても、執刀医は、本件手術中に内シャントを用いることを試みたが、被告病院で用意していた最小のチューブさえ挿入できなかったため、使用を断念したという経緯があるため、注意義務の違反はない。
(裁判所の判断)
内シャント、外シャントは、出血の制御や出血に伴う血圧低下を防ぐためのものではなく、また、冠動脈遠位への血流確保という観点からは、内シャントよりも外シャントの方が有利である。そうすると、執刀医に抹消への血流確保が困難であったとしても、血流確保のために、冠動脈内にシャントチューブを挿入する内シャントを用いるべき注意義務があるとはいえず、外シャントを用いて吻合部よりも遠位の冠動脈の血流を確保したことに何ら問題はない。執刀医が術中に内シャントの最小のチューブの挿入を試みたが安定的に挿入、留置することができないと考えて挿入を断念したので本件では内シャントチューブを用いることができなかったことも考慮するなら、執刀医に内シャントを用いなかったことにつき過失を認める余地はない。
争点3、4
過失がないため判断なし


